神聖なものとして聖なる水は古くから崇拝されてきた

古代中国では身体に聖なる水をかけることで人々は神の力

聖なる水

 

水は古くから神聖なものとして崇拝されてきました。
たとえば、水と進行を結びつける行為のひとつに水垢離があります。
滝に打たれたり、冷水をあびたりすることで、神仏に祈願する水垢離は、現代にもしばしば宗教的な行事などで登場します。
発祥の地は中国。
古代中国では水は神霊の象徴であると見なされていたそうです。
からだに水をかけることで人々は神の力にすがろうとしたのでしょう。
このような、罪やけがれを洗い清める儀式を『みそぎ』といいます。
語源は『水そそぎ』とも『身すすぎ』ともいわれていますが、いずれにせよ水でからだをきれいにするという意味でしょう。
現代では政治家がよく口にする都合の良い言葉として知られていますが、元来は信仰心あふれる神聖な言葉だったのですね。
水には罪やけがれを落としてくれる霊的な力があると信じられ、宗教的なシーンにはしばしば水が重要な役割を果たします。
みぞぎは現代にもさまざまな形で残っており、水垢離をはじめ
神社に参拝するときの手水など、『そういえば・・・』と思い当たるものがたくさんあるのではないでしょうか。
葬式から帰った後に清めの塩をからだにかけますが、これもみそぎの一種。
塩は海水の象徴として使われたようです。
かつて日本人は海洋民族でしたから、みぞぎも元は海の水で行われていたと考えられます。
また、死んでいく人の口に末期の水をとらせるのも、みぞぎと同じ意味があります。

肉体が滅びても魂が再生するようにとの願いで、口に水を与え、魂を清めるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんがつかう産湯にもみぞぎの意味が込められています。
新しい生命の誕生、魂の再生を祝福し、聖なる水で清めることで子供の幸福な人生を願ったのでしょう。
そのため高貴な家に生まれた子供は、産湯も単なる水ではなく特別な湧き水などを使用したということです。
世界に目を向けても、さまざまな宗教においてみそぎと同じような儀式が行われています。
なかでもガンジス川での沐浴は最も有名な儀式のひとつでしょう。
ガンジス川はもともと神の国を流れていたという神話があり、流域には数多くの聖地があります。
ヒンドゥー教の世界では、ガンジス川の水にからだを浸すと罪から免れるとされ、死後
遺骨や灰をガンジス川に流されることは最高の喜びであるといわれています。
キリスト教やユダヤ教にみられる洗礼の儀式は、ヨーロッパ版のみそぎ。
教会内の聖なる池や川に全身を浸す『浸礼』、頭に聖水のしずくを滴す『滴礼』など洗礼の方法はさまざまですが
いずれにせよ清めが入信儀式の中心となります。
古代エジプトではミイラの傍らに死の渇きを癒すための水が置かれたといいます。
また、インドネシアでは喪が明けると清めの水浴をする伝統があり、かつて日本でも同じようなことが行われていました。
水は、人間の死、そしてあらゆる宗教と結びついているのです。
古代から続く水の信仰を考えると、水があらゆる生命を支配していることを、昔の人々は理解していたように思えます。

現代では科学の発達などで健康を左右するのは水というほど重要さは証明されていますが、今の時代に生きる私たちよりも
昔の人々のほうがずっと水の尊さを知っていたのではないでしょうか。